菜の花通信

月別アーカイブ: 2013年6月

脱水症の予防と改善

高齢者は以下のような理由で脱水症になりやすいといわれています。

 ①身体の水分量が減る  ②腎臓の機能が低下する

 ③感覚機能が低下する  ④利尿剤の影響

◆脱水症の初期症状

○ なんとなく元気がなくなる(活動性が低下する)  ○ 微熱がでる

○ 皮膚が乾燥する  ○ 唾液分泌量が減少し、○ 渇感をおぼえる

◆水分摂取を促すポイント

言葉で「水を飲んでください」と促しても、「飲みたくない」とか「喉が乾いてない」と拒否されることもあります。さまざまな工夫をして脱水症にならないように工夫する必要があります。

①好きな飲み物を用意し、いつでも飲めるように工夫する。

→ 比較的よく飲んでいる飲み物を把握し、いつでも飲めるようにしておく。

②家族や友達と一緒に飲む。

→ 一人でお茶を飲むのは味気ないものかもしれません。できれば誰かと一緒にお茶を飲む機会を増やすことを考えてみましょう。

③ゼリーや寒天質のものを食べてもらう。

→ 「飲み物」だけでは、飽きてしまう可能があります。ゼリーなど、水分量の多いものをおやつに取り入れてみましょう。

④こまめに水分を摂取するように促す。

→ 高齢者が1回に飲む水分の量は、それほど多くはありません。こまめに水分を摂取することを促しましょう。

ヘルパーのつぶやき:H25.6月

訪問部の車が新しくなりましたー! 会社の車は代々ホンダのライフですが、今までの和風な「きなこ色」から今度はあざやかな「ピンクゴールド」に一変です。

乗りこむと、新車のいい匂い! 誰もが「最初の傷をつけたくない!」と思うので、ソローリソロリ、運転はとても慎重になります。

カーナビもついて、これで初めての利用者さん宅に行くときも迷子になることはないはず。スマートキーを失くしては大変なので、スタッフのあやちゃんがUFOキャッチャーで1400円もつぎこんでゲットした(!?)大きなドラえもんのキーホルダーをつけました。

ナンバーは「7087」(なのはな)です。

正木の家:H25.6月

☆初ツイッター(赤澤のつぶやき)

今の私、動きが鈍くなった気がする。

頭の中ではやるべきことわかっているのに・・。

要領悪く、段取り悪い!毎日ばたばたしている気がする。

なんでかな?・・・

安定したケアができていないから?入居者の居心地、悪いんじゃないですか? どうしたらよいのでしょう・・。そう!一人ひとりにあったケアをしなければいけない。声かけでも、その方に合った声かけ、その場に即した声かけや対応が必要なんだ。

≪認知症が進んだから≫なんて考えるのではなく、今、この場の不安を解消してあげられることを考えていこう。この方はどんな気持ちでこういう言動をされるのか推し量ってみよう。その方の頭の中、心の中はわからないけれど・・、でも私達が何とかしてあげたいという気持ちは通じるのではないかしら。

 

『ここは正木?金山に帰りたいの。歩いて来たから帰る。パパ怒るよ。』

「遠いから車で行きましょうか。」と、玄関まで降りたものの動かれず。30分位同じ内容の会話が続く。

「パパが迎えに来てくれるって言っていましたよ。ここで待っていましょうか。」

『おねえちゃんがそう言うならそうするわ。』

「ありがとう。一緒にコーヒーでも飲みましょうか。」

『はい。』

涙が出そうなくらいうれしい気持ち。想いが通じたのかなぁ。

いいえ、その方が、私の事を気遣ってくださったのだと思います。ですから『ありがとうございます』なのです。

毎日、笑顔で挨拶ができ、入居者皆さんの笑顔が見られますように!!

ベランダの朝顔のように、花開くような笑顔を引き出していきましょう。

今おもうこと:H25.6月

梅雨入り宣言直後からの好天続きで、なんとなく得したような気分で過ごせましたが、やはりヘルパー泣かせの雨の季節。この先、梅雨後半に大雨続きで水害も・・なんてことにならないとよいのですが、本番はまだこれからですね。過ごしにくい日々が続いていますが、皆様お変わりありませんか?

 

先日、世界的にも著名な建築家が東日本の震災で自身の価値観を根底からくつがえされ、建築物を「作品」とか「アート」と呼ばせてきた過去を引きずる自身をリセットし、建築家の存在理由を根底から問い直した・・というテレビ番組を見ました。
その建築家が手掛けた仙台市福田町南仮設住宅にある「みんなの家」は、切妻屋根の木造平屋建て。中央に暖炉、小上がりや壁際に作り付けられた椅子には手作りのカラフルな座布団が並び、壁には子どもたちが描いた絵が飾られていました。
(先頃、建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を受賞したとのこと。)
宿直中でしたがとても興味深く、ついつい最後まで見てしまいました。

 

事務所にはほとんど毎日のように、高齢者向け住宅や有料ホームの案内が届きます。過去、実際に独居生活困難となられた方を紹介したケースもありましたし、今進めているサ付き住宅「かなやまの家」の検討が始まってからは、数多くの内覧会にも参加しました。
現在、私たちが運営する施設も含め、安心とかやすらぎの文字をカタログに印字することは簡単ですが、ほんとうに必要とされる暮らしの場がそこにあるのか。内覧会の帰り道、決まってそんな疑問が胸中に膨らむのを覚えました。
報道で知る限りで恥入りますが、避難所生活においても、人間らしく生きたいと願う人々は、空き箱を食卓として笑顔で食事を楽しもうとします。あるいは仮設住宅の狭間でミニコンサートを開こうと尽力されます。極限状態でも人々は集まり、何らかのコミュニケーションを交わそうと試みる。

目頭が熱くなるようなそんな感動的な姿を幾度も見かけたはずなのに、いざ高齢者のための・・という冠が付くと、そこは提供する側の都合優先の場所になってしまっていないか・・。
最低限の安全確保とベッドしかない家に共同のリビングルームをつくる。
ここまではたいていどこでも同じです。
そこに行くと人々が自らの意志でソファやテーブルを囲み、あるいはまたお茶を飲みながらのんびりできる。目には見えませんが、そんな心の安らぎを得られる空気が流れる場所、それが私たちの目指す「かなやまの家」でなければなりません。
かなりハードルは高いですが、実現できれば入居者にとって自らが選んだと納得してもらえる「私の家」になるのでは?と再確認した6月でした。

アメニモマケズ、お元気でお過ごしください。       丸山榮出樹