揖斐川の河川敷に咲き揃う「菜の花」を目にしたのは、もう桜も散り終えるような頃でした。
清楚で、可憐で、実直で、それでいてしっかりとした存在感のような物を感じました。
見てもきれいだし、食べてもおいしいし、そんな役立ち方ができるような「介護」であったなら、
利用者の方のこころに届くものがあるのでは・・・と、強く感じました。
水や空気と同じように、人は愛や支えがないと、生きていくのが結構しんどい生き物だと思います。
大上段に立って声高に「理想の介護」を語るのではなく、
ひとりひとりの人生のペースや、必要としている支えが何かを考え、共に歩むことができたら、
それがいちばんの介護ではないかと思うのです。
晴れ着や新調した背広を着ると、なぜか身もこころも引き締まります。
出かける目的があって、初めて自らの意志で身体を動かそうとします。
会う人がいるからこそ紅をさし、身支度を整えます。
お仕着せや定型のサービスでなく、
「来年またこの花の咲く季節を一緒に迎えようね。」
って言える関係を築くことができたなら・・・。
それが私たち目指す介護だと考えます